ひたすらに南を目指す21日

ここから先はほとんど情報がない。手持ちの「地球の歩き方〜東欧編〜」に、アルバニアのページは20ページほどしかなく、ほとんどが国家の一般情報で占められる。今行こうとしているベラートという町は、歩き方は勿論ネット上にもほとんど情報が無く、手探りで向かうこととなるが、まぁなんとかならないことは無いだろう。僕が旅先を決めるときは、雑誌やネットや何かでグッと心を掴まれた場所に行く、ということが多い。それがどこの国にあるとか、どうやって行くとかは後から付いてくるものであって、まずはそのイメージを大切にしている。だから、アルバニアのベラートやギロカステルというわけのわからない町でも、とりあえず行けそうならば候補としては韓国やハワイに行くのと同じ感覚で入ってくる。そのあと調べてみて、「めんどくさいとこにあるなぁ」と思いながら向かうのだ。今回はその顕著な例と言える。

マケドニアでは一応ネットワークで座席の管理を行っていた長距離バスも、ここアルバニアではアジアの途上国と変わらない。要は、大体の時間に大体の人数が集まったら出発、という原始的なスタイルを取っている。庶民の足は圧倒的にバスやミニバンでありその本数は非常に多く、滅多なことでもない限りはそれで十分座席が事足りているというのも進化の妨げとなっている。僕は、南部ギロカステル行きのバスに乗る。その途中にあるのがベラートだ。

ベラートに至るバスの本数は腐るほど出ていた。案ずるより産むが易しということはよくあることだ。

↑ティラナバスターミナル


アルバニアは、かつての国民皆兵政策により銃器が国中に行きわたっていたことや、ソ連や旧ユーゴスラビアを仮想敵国とする過程で作られた50万以上のトーチカ(防弾壕)が今もなお残ることなど、治安状況にいまだ影を落とす。そのトーチカ跡は途中風景で腐るほど目にすることができる。6年前、軽い気持ちで入国してみたこの国でトーチカ群を目にした時、緊張感を覚えたのを思い出す。



ベラート

昼過ぎ、幹線道から脇にそれ、オスミ川沿いをしばらく走ると到着した。まずは宿探しだが、同乗していたイングランドの旅行者がざっと地図を見せてくれる。安めの宿もどうやら点在していそうだったが、この町から最終目的ギロカステル行きのバスが日に2本しか出ていないらしいので、なるべくターミナルから近い宿を当たってみることにした。

↑宿


一家経営のこの宿は、小太りの娘ちゃんが英語を話せるため、ギロカステル行きのバス情報を仕入れることができた。日に2本、8時と14時のサランダ行きだ。某は朝の8時に乗るべきだと判断、比較的早いので、やはりこの宿に決めることにした。

ベラートはアルバニア中央、標高2400mのトモリ山の麓にある。オスマン帝国時代の街並みが色濃く残るマンガレム地区は、川の対岸から見ると小窓の多い家屋が傾斜沿いに所狭しと並んでいることから、「千の窓の町」として知られている。その景観は重厚且つ中世の美を今に残し伝えているものとして一見の価値ありだ。

↑ベラートの家屋

↑オスミ川対岸から

↑親切な人々


散歩するにはあまりにも小さい町で、実はものの数十分もあれば町の端から端まで歩けてしまう。対岸でずっと町を眺め、適当に散歩しては珈琲を飲み、町の雰囲気を堪能する。人々は優しく気さくで、街の空気感はおっとりとしている。日も暮れる頃、宿に戻り併設のレストランでビールを飲みつつ食事を。サラダにスープにラム肉のロースト、大きな塊だというにこれで500円だというのだから安いものである。