悪名高い山越え22日

朝飯を食べたらサランダ行き8時発のミニバスで出発。地図的にはティラナよりもだいぶ近いところまで来ていたので、1,2時間程度で到着するものとこの時は勘違いしていたのだが、それが甘い考えだったことをまだ僕は知らない。8時をまわっても出発せず、人数が大体集まったころにエンジンがかかった。特に急いでもいないので構わないが、急務で駆けつけなければならない時など、この人が集まり次第出発するシステムはやきもきするのだろう。日本の秒刻みで出発着する交通網は本当に凄いと言わざるを得ない。
↑ベンツのバンで出発。


そしてベラートからギロカステルに向かう山越えは、山道を左右にブンブン揺られながら爆走していくハードコースだった。朝飯のオムレツをチーズ入りか迷ったのだが、入れなくて良かった。こってり系朝飯にしていたら確実にリバースしていたことだろう。今までの旅行で乗った移動の中でも1,2を争う運転の凄まじさで、失業率5割を誇るというのであれば国政で道路整備の公共事業を優先してもらいたいものだ。しかもたまに故障して修理しながら進むのがまた恐ろしい。しかし諸刃の剣とでも言おうか、この道中で見られるアルバニアの山々の風景は本当に素晴らしかったのは間違いない。

↑美しい茶けた山風景



再訪

昼過ぎ、かつて見た風景が広がりだす。思えば6年前の当時、僕はギリシャのアテネから北進してメテオラに、さらに国境を北に突き抜けてギロカステルの町に到着した。今回は、北のティラナ、ベラートから南進してギロカステルに到達しようとしている。感慨深いものがある。5時間ほど走り、山の斜面に広がる石葺き屋根の町が見えてくる。ようやく来た、ギロカステルだ。ちなみに、Gjirokastraと書く。今はむしろ日本語通称としてはジロカストラ、ギロカストラ、といったほうが通りは良いみたいだが、6年前はむしろギロカステルの方が主流だった気がする。余談ではあるが。

↑特徴的な石葺き屋根


早速旧市街の奥の方、ゲストハウス「ハジコトニ」へ向かう。当時ここではいろいろな人に親切にしてもらった。全く変わることのない石畳、石の屋根で造られた街並み、道も記憶に残っている。ここは「石の町」ギロカステルだ。

ハジコトニに到着して入り口をくぐって迎えてくれた主人!!そして奥さん。なつかしい! 当時より老けているが間違いなく本人で、早速当時会った人に会えてテンションが上がる。当時は娘さんや友達がいて勉強を青空教室で教えたりしたものだが、今はどうやら大学生になりティラナにいるとのことで残念……。当時撮った写真を渡すと喜んでくれた。特に娘の昔の写真になるわけだから、それは喜ばしいことだろう。こちらまで嬉しくなってしまうのは当然というものだ。

↑主人は表情が丸くなっていた

↑ハジコトニ外観

↑部屋の内装がとても可愛いのだ


コトニ夫妻は相変わらず親切で、彼らの変わらぬサービス精神が宿を存続させているのだろう。ギロカステルの街並みは相変わらず美しく、言うことなしである。まさかまたこの僻地を訪れようなんて、全くもって思いもしなかった。