社長21日

交通会館の前には馬鹿な人たちがたむろしている。厳密に言うとアイちゃんと社長とその仲間たちであるが、そこに加わった僕をネタにして談笑している。彼らの輪に加わることは極めて簡単だ。何もしなくても勝手に入れてくれるからだ。

明晩、僕はウイグルを経ち日本に戻る。何度目かになるラグメンをすすりながら、「もう最後かなあ」と僕が呟くと、おもむろに社長が口を開く。

「最後となると『また絶対来るよ』って言う奴いっぱいいるけど、結局来ねえんだ。俺たちが『また来いよ』って言ったのに対して社交辞令でそれを言うのはまだわかるけど、みんな別れる時はその言葉を使いたがるんだ。さようならだけでいいじゃねえか」。相変わらずの皮肉口調で彼は言う。「来ないのはわかってんだからさ」。

僕は思いもしなかった。確かに見送る側からしてみると、『また来るよ』という言葉は結構重い言葉なのではないだろうか。実質、一期一会の繰り返しが旅というものであり、再び同じ場所を訪れ同じ人に会うことは滅多にあるものではないだろう。僕は今までの旅でその言葉を軽はずみに使っていないか考えてしまった。

↑でも普段は馬鹿な社長



吐峪溝

夕刻、カヤコさんとその友達ホンダさんと三人で町を離れる。この二人、大学の同級生であるらしいのだが、今回この土地で偶然バッタリ会ったというのだから世界は本当に狭いものである。まず向かうは吐峪溝、昔ながらの山間の村だ。何百年も前からの暮らしがそのまま残っているようなのどかな風景が広がる。家にお邪魔させてもらったり、ぐるっと歩いて村を見下ろしたりして時間が少しずつ流れていく。

その後、やはり一般家庭にお邪魔して自家製のラグメンを頂戴する。昼にもう最後になるだろうと思いながらラグメンを食べたものの、夕飯もラグメンになろうとは思わなかった。しかし何度、どこで食べても美味すぎるこの料理、日本でも食べられる店はあるのだろうか。

↑すべての建物で普通に暮らしています

↑とても静か・・・



星と砂漠

一定の場所から先に道路はない。ここが人工物の果てだ。視線の先には広がる砂漠、吹き抜ける風、揺れる風紋。こんな風景の中に溶け込んでいながら気分が高揚しないはずがない。3人で子供のようにはしゃぎながら、走る。砂の中を。汚れるのも疲れるのも厭わない。今を走っているのだ。

ふと空を見上げると、そこは幾星霜もの年月を経た星々の煌めくオーケストラ。ゆらめく天の川を走る流れ星、この広がる砂漠のひとつひとつの粒にも等しい数の星粒たちが僕らの頭上でゆっくりと息づいているのだ。

↑砂漠感無量