緩やかな時間17、18日

これは僕の印象だが、内陸の人々にはハニカミ屋さんが多い。同じイスラム民族でもエジプトなどの海に面した拓けた国は根っからの陽気モノが多い気がするし、実際そういった話もよく聞く。しかし以前訪れたウズベキスタン、イエメン、そしてこのウイグルに住むイスラム民族たちは、彼らに比べて穏やかでおとなしい。それでいて、こちらの意思には耳を傾けてくれるし、とても親切だ。

そしてそんな通りを歩くのは気持ちのいいものだ。自分のペースで歩くことができ、裏に裏に入るように進んでいくと、そんな"ハニカミ屋"さんたちが迎えてくれる。素直な気持ちになりやすくなっている僕は、エイティガール寺院の広場でこの土地名物である干しブドウを食べながら、普段生活の中では心の隅に押しやっていることや多くの人や出来事に思いを馳せる。こういう時間は必要だ。

穏やかで落ち着いているといえば、アパク・ホージャ墓はまさにそういった場所だった。観光客もそういなく、係の人間はのんびりとたまにやってくる欧米人、漢民族観光客の相手をしている。そもそも墓地であるので、騒がしい場所であると雰囲気も何もあったものではないのだが、それにしても静かすぎる。でもこういった時の流れ方は悪くない。僕は用水路に水が溜まっていくのを何となく眺めながら時間を潰した。

↑塔部分の色彩配置が見事


夜のカシュガル

「おいおい、これだけでいいってば!」
値段をまけてくれるという、途上地域にはあるまじきタクシードライバーの好意を受け車を降りる。宿に向かって歩いていると面白いものが目に入る。なんてことない公園なのだが、その中央には何故か白雪姫と七人の小人の石像、そしてその隣には観覧車・・・。その奥には泥とレンガの地域が広がっている。中国らしいといえばそうだが、僕はこういうあまりにも節操のない景色の使い方をするのが嫌いだ。

↑なんというギャップの激しさ



その後しばらく歩き回るものの西日が相当辛く、体力の消耗具合からここが乾燥地帯だということを否が応にも思い知らされる。そして何か口に入れるために休もうにもこの時期はラマダンで、西方民族がひしめくこの町では日没まで律儀に開店しない店がほとんどだ。何軒も断られ、やっと開いている店を見つけたがそこは中華料理屋。そこで麻婆豆腐をかきこみ新疆ビールをガブ飲みしつつ、気のいい漢民族店主と筆談していると、気がついたら日が落ちていた。

エイティガール寺院付近、僕は毎晩訪れることにしていた。なぜならこの辺りは日没を待って屋台がひしめきあい、そこにいるだけで楽しいからだ。麺を茹でた湯気や、肉の焼ける煙であたりはもうもうとしており、その煙の隙間を縫うように人々は歩く。子どもから老人まで皆一様に屋台に座り夕飯をとっている風景を眺めていると、ふと僕の地元で毎年行われる夏祭を思い出した。一年に一度のそんな風景が、ここでは当然のものとして毎日開かれているのだろう。彼らのお互いの距離感はとても近い。きっと家族と他人との境界が僕たち以上に曖昧なのだろう。

一方で思う、こんな生活をあとどれくらい続けられるのだろうかと。現在も中国政府によりこの地区は解体を迫られている。良くも悪くも政府の統一政策は暮らしの利便化を少なからずもたらしている。もし今ある風景やこの夜市がなくなって、いや、なくならないまでも仮にとても便利で味気ないものになってしまった時、子どもたちは今と同質の距離感を保っていられるのだろうか。

わからないし、そんなこといち旅行者風情が口を出したところでどうなるのか。ただ、僕に笑いかけてくれた彼らの笑顔、その近さがこれからもずっと同じものであってほしいと願うだけだ。

↑夜になると活気は増す